岩崎宏美 19才と別れる秋に

NHK-BS2で放映されている蔵出しエンターテインメント「ビッグショー」。
数日前に、ここで岩崎宏美が今から30年前、78年の秋に出演した
岩崎宏美 19才と別れる秋に」が放映されました。

ビッグショーという番組は、日本の歌謡界における確固たる地位を築いた
シンガーが出演する、テレビにおけるワンマンショー番組と当時、子供の頃の
自分は理解していました。
出演する歌手は、そのほとんどがベテラン歌手で、子供が見るには正直あまり
面白くないものだったと記憶しています。
そのビッグショーの趣が初めて変わったのが、77年の終わりごろに出演した
山口百恵の会でした。
自分もこの時の放送は見ていて、山口百恵のシンガーとしての目を見張る成長ぶり、
彼女のワンアンドオンリーの魅力を再確認したのですが、あるマニアックなラジオ歌謡番組で
「まだ、百恵がビッグショーに出るのは早すぎるという意見もあった」という
ことを知りました。それほどにステータスのある番組だったということでしょうか。

しかし、山口百恵が出演してから、時の人気者、いわゆるアイドルシンガーが
ビッグショーに時々出演するようになったのでした。
もちろんアイドルといっても、西城秀樹桜田淳子など、いわゆるスターの域に
達している人に限られていたのですが。しかも、秀樹も淳子も当時はすでに脱アイドルを
標榜して、大人のシンガーとしての魅力をアピールしていた時期ということで、
彼らにとってビッグショー出演というのは、脱アイドルをアピールするうえでとても
有効なチャンスだったはずです。

そして、百恵がビッグショーに出演してから一年後、この人も出て当然という具合で
岩崎宏美のビッグショー出演となったのでした。

番組の前半は初期のヒットメドレーという趣でスタートしました。
デビュー曲の二重唱(デュエット)、そしてロマンス。
センチメンタル、ファンタジーなどなど、若さはつらつでありながら、そこには
すでに16歳から17歳という、シングルを発表した当時の宏美はいないなあという
のも感じたりして。
このころ、78年というと、岩崎宏美は前年までのように無条件にトップテンヒットを
生むことができなくなっていました。「ロマンス」から続いていたトップテン記録は
この年の第一弾シングル「二十才前」で終わり、次の「あざやかな場面」「シンデレラ・
ネムーン」「さよならの挽歌」と連続して最高位オリコン13位にとどまって
います。「あざやかな場面」の頃に発売された彼女のシングルベストを聴きながら、
初期のころの無条件に声が突き抜ける作品をまた出してくれればいいのに、なんて
ことを子ども心に思ったりしていたものです。
しかし、このビッグショーでの彼女の歌声を聴いていて、それは無理な注文だったのだなあ、
と今更ながら思いました。山口百恵ほどではないにしても、岩崎宏美もものすごいスピードで
大人への階段を上っている印象。70年代のアイドルというのは、いつまでもアイドル
やっていたらつぶれてしまう、どこかで大人のシンガーに脱皮しなければいけない、
みたいなプレッシャーがあったのかな?いや、多分日本社会全体がいつまでも子供で
いることを許さない雰囲気があったんじゃないのかなあ?なんてことを思いました。
そして、何よりも本人がすでに16歳や17歳のころに比べて成長してしまっている。
彼女の歌にそれが如実に表れているのですから。同じ楽曲を歌っていても、当時の
歌い方とは微妙に違うのですよね。「センチメンタル」など、心では思っていなくとも
♪ブルーの服をバラ色にわたしは変えてみたの そんな気分よ〜
的な感性は、もう19歳の岩崎宏美にはフィットしなかったんじゃないのかなあ?
なんて思わせる歌唱法でした。
というよりも、これは以前わたしのHP、マイ・プライベート・ヘブンで書いたこと
あるのですが、初期の岩崎宏美作品は、言葉は楽曲のためにある記号的扱いになっていた
ともいえるわけで、そのころの宏美は歌詞の細かいニュアンスを歌で伝えようという
唱法にはなっていなかったとも言えると思うのです。しかし、「思秋期」以降、歌世界を
もっと大切に歌うことを知ってしまった後になっては、初期の歌謡ディスコ路線を初期と
同じように歌うことはできなくなってしまった。。。のではないでしょうか?

そういえば、今でも覚えているのですが、思秋期の次のシングル「二十才前」を初めて
聴いたラジオ番組でのことです。その番組に岩崎宏美は電話出演をしていたのですが、
新曲のタイトル「二十才前」について、ラジオ番組のDJは「すごくいいタイトルですね。
きっといい曲でしょうね」と言ったのに対して、岩崎宏美は微妙な反応をしていたの
ですね。リスナーの自分は、「宏美は新曲が好きじゃないのかもしれない」と思わざるを
得ないような。。。多分、彼女の当時の感性にフィットしない歌世界だったんじゃないのかな?
と今では思いますが。また、この「二十才前」という作品の、岩崎宏美の伸びのある高音に
頼り切ったようなメロディー作りは、すでに当時の宏美とは相いれない方法論になっていた
のかなあ?という風にも思ったり。結果的にこの「二十才前」というシングルは、セールスで
かなり低迷してしまったのもうなづけるような。

余談になりますが。。。
70年代の女性アイドルの大物、山口百恵桜田淳子も、そして岩崎宏美も、”二十歳”を
テーマにした曲を歌っているのですが、(山口百恵は「二十歳前夜」(アルバム『百恵
白書』収録)、桜田淳子は「二十才になれば」、岩崎宏美は「二十才前」)今はもう
そんなテーマ流行りません。いや、すでに80年代においてさえ、もうすでに使い古された
テーマになっていたように思います。(それを楽曲的に表現したのが、松田聖子の「野ばらの
エチュード」だと自分は長年思っていたのですが。。。このあたりのことはいつか
暇があったらまとめてみたいものです)



などと全くまとまりのない文章になってしまいました。苦笑。
つまり、タイトルが示すように「19才と別れる秋に」の通り、もうすでに昔の彼女は
そこに存在しておらず、歌い方も含めて岩崎宏美はシンガーとして初期とは違う道を
歩もうとしていることがとてもよく表れているように思いました。
19歳でこれだけのステージが披露できる彼女は、当時から並はずれたシンガーであったのだな、
と改めて認識させられました。

それにしても、この番組で歌われた「パパにそむいて」や「さよならそして自由へ」は
その一年前の『ウィズ・ベストフレンズ』に収録されていて、なぜに当時の最新作(しかも
傑作アルバムである『パンドラの小箱』)から歌わなかったのでしょうかね?
いや、当時はこの二曲、とても好きだったのでなんにも疑問に思わなかったのですが。