君へ

SOL042008-09-23

柴田淳の6枚目のオリジナルアルバム『親愛なる君へ』から、恐らく一番の
キートラックとなる「君へ」。

前に紹介した「愛をする人」、そして「ふたり」などは、女性の視点から見た
リアルでシビアな、むき出しの恋愛観が見事に描かれている作品です。
それに対して、こちらは男性の視点で描く究極のロマンティシズム。

この「君へ」の主人公の男性はすでにこの世にはいません。
あの世でこの世での恋人に語りかけている内容になっています。

前にも書きましたが、しばじゅんの男歌はとても非現実的な、「こんな男いないよ」
的なロマンティシズムにあふれた作品が多いのです。
それは、しばじゅんの「こんな男性に愛されたらどんなに幸せか」という、
彼女の恋愛願望があふれているのもあると思います。
そこには男の”肉体”は感じられず、精神のみ、愛する気持ちのみが存在するのです。
その非肉体性というのは、女性アイドルが男性詩を歌う際には頻繁に見られる現象
でした。
古くはやはり太田裕美がそうだったでしょう。
彼女の代表作「木綿のハンカチーフ」における男性と女性の対話の男性部分、また
ヒット曲「しあわせ未満」の瑞々しさ。
そこには男性の肉という現実の濁りが感じられず、ピュアな心だけが伝わってきます。
太田裕美がこの世界を表現できたのも、彼女があまり女性の肉体を感じさせない、
中性的な魅力を持った人だったからだといえるでしょう。
柴田淳も、デビュー当時は「となりのしばじゅん」というキャッチコピーの通り、
どこにでもいそうな親しみやすさを売りにしていたところがありました。
その親しみやすさがあったからこそ、女性の匂いをあまり感じさせない存在だった
からこそ、彼女の男歌には説得力があったのだと思います。
ピュアな心だけを表現するには、時として肉体は邪魔になります。「ちいさなぼくへ」や
「それでも来た道」などの、恋愛ではなく自分自身の内面と向き合い、苦悩を表出する
際に、肉体の濁りを感じさせないためにも、しばじゅんは「女よりも男としての
表現にした方が説得力を増す」、そのことを直感的に理解していたのではないでしょうか。

そして、その非肉体性を突き詰めていったら、たどりついた先はなんと死後の世界でした。
人間は死んだあとも精神だけは残るとしたら。肉体がなくなったとしても、以前存在した
愛だけは引き続き存在するとしたら、そこには究極の”愛”の世界が存在するはずです。

これは今までの女性アイドルが歌う「男歌」「男の子歌」を越えてきた、もはや同系列には
語れない域に達してきたと言えるのではないでしょうか。

しばじゅんがこの「死後の世界」からのラブソングを歌ったのは今回が初めてではありません。
前のアルバム『月夜の雨』に収録されている「君が想えば」がありました。
この「君が想えば」の主人公は自分の死を嘆いて悲しんでいる恋人を慰める内容になっています。
ここでは確かに、死者の肉体は全くなく、精神性が存在するだけです。

「君へ」でも、ワンコーラスは主人公の恋人への思いを終始描いているのですが、次の
2コーラス目からは以前の「君が想えば」にはない世界が展開されています。
そこでは「君を想えば」よりもっと具体的に死後の世界までも描かれ、死んだはずの主人公が
泣いたり悩んだりしているんですね。そして今でも相手の女性を片思いしているんです。

♪不安の海におぼれて ぼくはうずくまった
もうひとりじゃかかえきれず 誰かに甘えたかった

♪近くにいる人なんて いくらでもいるのに
なぜか君に会いたかった 君が恋しくなった〜

のフレーズは、まるで死んだ人がたくさんいる死後の世界を描いていますし、

♪君の一言でぼくはこんなに笑顔に戻れるから〜

などは、今でも主人公は顔を持っていて、泣いたり笑ったりしながらあの世で”生きて”いるように
思わされます。

死後の世界から、今生きているかつての恋人への究極のラブソング。それがこの「君へ」です。
死んだ人にもう一度会ってみたいというかなわぬ願望は、人間にとってかなり強いようで、
映画の世界では「ゴースト」を初め様々な名作が生まれています。歌世界では、こちらから
あちらへの思いを描いた作品は「涙そうそう」を初め名曲は存在しました。しかしその逆は
とても珍しいパターンであり、しかも死後の世界が描かれているというのも非常に珍しい。
柴田淳は稲村淳二のファンであることが彼女のブログで描かれていますが、そのあたりも
この名曲が生まれるきっかけになったのかも知れません。

http://jp.youtube.com/watch?v=jILOPKUgwBw&feature=related