南沙織(2)

SOL042004-11-13

●『午後のシンシア』南沙織
77年に発表された南沙織(シンシア)にとっては17枚目のオリジナルアルバムです。
75年の「想い出通り」以来、二年ぶりの有馬&筒美コンビとのコラボ「ゆれる午後」
というシングルをメインにした、ちょっと”アダルトシティポップ””ライト&メロウ”
アルバムといった風情に仕上がっています。
全作品有馬&筒美コンビによるオリジナル10曲で占められていて、意外なことに
これはシンシアのアルバムでは初めての試みなんですね。というのも、シンシアは
それまでは常にカバー作品をアルバムに収録してきたからなんですが。
シングルとなると多種多様な作風でとてもバラエティに富んだ曲作りを見せる筒美氏
ですけど、アルバム全曲を担当となるとトータル色が強くなるのが彼の特徴。
このアルバムと同じ頃に発表された太田裕美の『こけてぃっしゅ』なども、やはり
全編シティポップ風な作品で統一されていますし、翌年の岩崎宏美の『パンドラの小箱』
などは全編ソウルディスコ作品が目白押しとなっています。
この頃のシンシアは音楽的にかなり迷走してしまっている感じで、その最たるものが
77年3月に発表された問題作「ゆれる午後」。このシングル、とてもシンシアのものだとは
思えないスナック歌謡というか、演歌手前まで行ってしまっていて、初めてベストアルバムで
聴いた時にはものすごいショックを受けました。前年のジャニス・イアン作品による
「哀しい妖精」で新たなファン層を開拓しつつあったのに、この一曲でその芽を根こそぎ
摘んでしまったのではないでしょうか?シンシアのプロデューサーである酒井政利氏は
こういう歌謡曲度数の高い作品が好きなのかも知れませんけど、それ以前にも「バラの
かげり」や「夜霧の街」などがことごとく敗北してることを思えば、シンシアはこういう
路線ではうまくいかないのは明らかだったのに。確かにシンシアのこの頃の、ちょっと
疲れた声にはフィットしてるのかも知れませんが。。。♪ねえ どこでどうしてどうなったのよ〜
っていうフレーズは確かにドスが利いていてインパクトはありますけどね。。萩田氏が
なんとかアレンジでポップな味付けをしようとしてるのが聴いていてちょっと虚しく
なります。
アルバム自体は、むしろこのシングル「ゆれる午後」は異色作で、アダルトシティポップの
ポップの部分が強く出ているとは思います。それまでのシンシアのはじけるグルーブ感覚は
それでもさすがにちょっと抑え目になってるでしょうか。でも、圧倒的な吸引力を感じるのは
控えめながらグルーブ感の出ている曲なんですよね。「目の中の春」や「いつか逢えますね」
なんてところにはシンシアらしさが出ていて秀逸な出来に仕上がっています。また、「春の愁い」
「ゆれる午後」のB面になってしまいましたけど、やはりA面はこちらではなかったか。。。と
思います。
そして「ゆれる午後」ともう一曲、問題作が。。。それは「別れのマチネー」という曲で、なんと
あのイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」とそっくりのアレンジになってるんです。
これはアレンジャーの水谷公生氏の意図というよりは、元々筒美氏が「ホテル・カリフォルニア」を
元にしてこの曲を書いたことからこうなったというか、ここまで日本でも津々浦々まで知れ渡っていた
曲を元歌にしちゃうのはあまりにも大胆すぎますし、しかもやはりオリジナルを完全に下回った
出来になっちゃっていて、ちょっと虚しさが漂ってます。
有馬三恵子女史の詩は、かなりアダルティーな女性像を描いています。この頃出てきたシンシアの
ちょっとアンニュイな歌い方から触発されたのでしょうか、なんとなく日常に疲れた大人の女性が
描かれている作品が目を引きます。時としてちょっと濃すぎるんじゃないかなあと思うところも
あるのですが。それまでのシンシアのテーマである、女性側から見た恋愛論というか、哲学っぽさが
出た詩の世界が発展した感じはあるのですけどね。このアルバムでも常に流れてゆく”時”が
詩の根幹にちゃんとあるところも一貫してます。シンシアの歌う恋のテーマ(というか、有馬さんの
詩の世界と、もっと広げてもいいのですが)は、個人的には嵌るとものすごく嵌るのですが、あまり
乗れない時もあったりするんですが。特にシンシアの場合、発音がちょっと英語なまりになっているので、
アダルティーな歌詞は聴いていてイマイチぴったり来ないような気もします。つまりシンシアの
場合、やはりサウンドが先に来て、そこに有馬氏の哲学的な詩が絡んでいる、そういう按配がベスト
のようにわたしは思うのです。京平氏サウンドに乗っかったシンシアのボーカルの素晴らしさが
彼女の日本語の弱さをオブラートに包んで、でも歌詞の素晴らしさはそこから透けて聞こえてくる
というか。。。だからサウンド指向度数が弱まると、シンシアの弱点である日本語の弱さ(と言って
いいのかな?)が露呈されすぎちゃうと思うのですが。。。
以前、シンシアファンのHPで、いつからか筒美京平氏の関心がシンシアから岩崎宏美太田裕美
移ってしまったようで悲しかった、みたいな文章を読んだことがあったのですが。。。確かに
同時期の太田裕美の『こけてぃっしゅ』などに比べるとクォリティーは落ちると思いますが、どうして
どうして、聴きどころも多いアルバムだと思いますね。